NO LIFE, NO WORK.

人生あってのしごと話。

マスコミ、変化のきざし。ソーシャルとそれ以外の要因。

先日、個人的に活動に参加しているWLB_cafe(ワークライフバランス・カフェ)が、朝日新聞とコラボした企画がありました。WLB_cafeは「ワークライフバランスをテーマにTwitter上でおしゃべりの場を提供する」という活動があり、これが朝日新聞のソーシャルメディア連動コンテンツの「ソーシャルA」に合わせておしゃべりをした、というのが企画の概要です。

 

その企画を通じて、個人的に感じたことがあり、ここに書き残しておきたいと思います。

Twitterをはじめとする、いわゆる「ソーシャル」メディアというものの存在からマスコミが変わっていくかもしれない話と、「ソーシャル以外」からマスコミが変わっていくかもしれないお話です。 

 

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*一般的に、新聞や雑誌に限らず、メディアはその「キャラ」や「主義主張」という「色」を持っていますよね。朝日新聞についても例外ではなく、それが好きな人もいれば嫌いな人もいるし、特に何も感じていない人もいるでしょう。

でも今回は、そうしたものはいったん脇に置いて話を進めてみようと思います。

 

 

マスソーシャル0「マスコミ→自分」

ソーシャルがない状態のマスコミの情報の流れ方。マスコミが伝えるニュースそのものを、そのまま入手する行為。

読み解いたりニュースを深掘りするには、自分の知識や経験から想像を巡らせることも必要。 身近な人や、特に知識や経験が自分より豊富な人、先生や上司や先輩たち、から新たな視点が得られることもある。

(「マスソーシャル」はマスメディアとソーシャルメディアの連携をあらわした、ここでの造語です。)

 

マスソーシャル1.0 「マスコミ→ソーシャル→自分」

Twitterなり、Facebookなりやっている人には日常のできごととなっていると思いますが、ニュースや記事を見てそれにツッコミを入れたり(書き込んだり)、誰かの(書き込んだ)ツッコミを見る行為。

「ツッコミ」は、独り言だったり、批評だったり、仮説だったり、そういったものをまるっと指すことにします。

家族や職場などの生活圏の身近な人だけでなく、いろんな背景を持った人からのツッコミも目に入ることで、あーそういう見方もできるんだー、とか、なるほどそんな意見もあるかー、とか、より多様な意見に触れることができる。

 

マスソーシャル0と違うところは、話題にするニュースを相手の興味に合わせずとも、自分の興味あるニュースをわがままに選別できること、それと、身近ではない多くの人の意見を知ることができること。

「マスコミ→自分」だったニュースが、「マスコミ→ソーシャル→自分」と間にソーシャルを挟むことで、より深く、より多面的に捉えられるようなる。

 

マスソーシャル2.0「ソーシャル→マスコミ→自分」

次がマスソーシャル2.0。マスソーシャル1.0との違いは、ソーシャルとマスコミの順序が逆になっていること。マスコミ→ソーシャルだったものが、ソーシャル→マスコミとなっている。

最近では、テレビや雑誌でも「つぶやき紹介」といったようなものがあり、お茶の間で友人とテレビを見ながら、あーでもないこーでもないツッコミを入れているような状況が再現されているのを見かけるようになりました。

ここでさらに、ソーシャルがマスコミのコンテンツの内容に影響を与えている、つまり、番組や記事がソーシャルからのツッコミを受けて、コンテンツ自体が変わること、もしくは、コンテンツが作られることを、マスソーシャル2.0と呼んでみます。

 

今回の朝日新聞ソーシャルA/WLB_cafeのケースでは、記事のテーマ『育休男子』について、Twitter上でつぶやいた人へ朝日新聞から取材依頼が入り、それが振り返り記事というかたちで改めて紙面に掲載されています。ソーシャル上の内容から記事を作っているので、まさにマスソーシャル2.0にあたります。

 

マスソーシャル2.0での、マスコミの動き

取材自体は、これまで通りの取材方法。取材承諾にはじまり、本名/仮名の掲載や併記する肩書きの確認などが行われている。記事の作り方も特に差異はなさそうな感じ。

違うのは、入り口。取材相手を決める方法。取材相手は、記事のテーマにツッコミを入れている、とは言わないまでも、記事のテーマに対してコメントをしている人。取材対象を、Twitterでつぶやいた人、としているわけです。

つまり、マスコミから取材対象を探しに行くのではなく、マスコミの場に取材対象となる人を呼び寄せている。その人が有名かどうかよりも、その人の背景や考え方が映し出されるツッコミや意見の内容から取材対象を選べる状態。これはひとつの大きな方向の転換ではないでしょうか。

 

(実際のところ、普段はどうやって取材対象を特定しているんでしょう?特に、その道の権威でもなく有識者でもなく、あたりさわりない一般市民を取材しているようなケースで。街角インタビューならいざ知らず、一般人へのお宅訪問しているようなケースがあるけれども、この人はどうやって選ばれたの?といつも思ってしまう。。)

 

(取材自体は、コンタクト・内容の確認・スピード、それのどれにおいても「プロ」であるな、と感じました。毎日仕事としてやっていること、組織力を駆使してやっていることは一枚も二枚もレベルが違うことを感じさせられました。)

 

ここまでが、「ソーシャル」メディアとマスコミとが連携していく可能性を、「マスソーシャル」という造語を使って書いてみました。

 

〜 〜 〜

 

とはいえ、マスコミも、ソーシャルも、個人も、中は「人」なんですよね。マスソーシャル2.0といった情報の流れ方よりも大切なものがあるような気がしました。はい、むしろこっちがメインテーマです。

 

ここからは、「ソーシャル」以外の要素でマスコミが変わっていくかもしれない可能性を書いてみます。

 

 

「当事者」としての問題意識

情報の流れ方もありつつ、情報の活かし方は発信側の問題意識や意図に左右されますよね。何を取り上げるべきか?どんなコメントが広く世に届けるべきコメントか?ソーシャルからの意見をみたときに何を感じて、どう解釈するのか、どうコンテンツを再配信するのか。何を問題と考えているかが大きく反映されてくると思います。

 

その問題意識がどこから来るか、というと、大きなひとつの要因は「当事者」であるということだと思っています。

 

基本的に「ソーシャル」で意見している人は「当事者」としての意見であって、「当事者」としての何かしらの問題意識を持っていることが多いと思います。「当事者」だから見えること、感じることがある。「当事者」だから気になってしまう問題がある。言わずにはいられないツッコミがあるわけです。

WLB_cafeのおしゃべりもまた、この「当事者」感を大切にした場です。ワークライフバランス、という職場や社名を明かしては少し話しづらいテーマについて、「当事者」どうしがおしゃべりして、意見交換したりノウハウを共有できる場として機能しています。

 

さて、あらためて。

マスコミで働いているのも「人」。

 

マスコミの中の人に「当事者」がいたらどうなるでしょうか。

 

今回、企画でお声かけくださった記者さんがまさに「当事者」でした。子どもを産んで育休から仕事復帰。子育てと仕事との間で、同じ悩みや問題意識を持った「当事者」でした。

大きな組織の中で個人の問題意識がひとつの記事になることは容易でなかったことは想像できますが、この記者さんの問題意識なしにはたどり着かなかった記事・企画だったと思います。

子育てしながら仕事を続けている記者さんがいることで、「当事者」としての問題意識が発信される、記事として世に届いていく、という瞬間を目の当たりにしました。

 

女性は結婚したら仕事を辞める、という時代を越えて。

女性は出産したら仕事を辞める、という時代を越えて。

こんなふうにマスコミも、中から変わっていくのかもしれない、と思わされました。

 

「ソーシャル」という外部からのツッコミを取り込んで変わっていく可能性、中の人に「当事者」が生まれることで変わっていく可能性を感じた一件でした。

とても貴重な経験をさせていただきました。ありがとうございます。 

 

(余談1)新聞紙面の広告から見る読者層

こういう企画があったので、"紙"の新聞を久しぶりに買ったわけですが、広告面を見るとおもしろいですね。読者層がぼんやりと浮かび上がってきます。

例を挙げてみると、ヒザの痛み、ゴマの力、スッポン、落語全集、墓地・・・など、高齢者を思わせる広告が半数以上。。

子育ては終わっているだろうな、もしかしたら仕事もリタイアしているだろうか、と想像を巡らせる・・・。決して、とは言わないけれど、滅多にソーシャルメディアに触れないであろうこの層に、今回のソーシャルメディア上での「当事者」のコメントが多数掲載されたことは、意味のあることだったと改めて感じました。

 

(余談2)外からの評価

外に表れたものからしか評価されない、評価できない。

今回、紙面という外に表れたものでどれだけのインパクトがあったのかはわかりません。普通の記事と変わらない感覚で読まれた、そもそも読まれていないかもしれない、というのが真摯な判断だと思います。

内にどれだけの変化のきざしがあったとしても、外からはそれまでのイメージに引きずられながら評価されていく。じわじわと外ににじみ出るものが人の目につき、変化として認知されていく。

人によって、それまでのイメージを信じ続けたい人もいるだろうし、新たな変化のきざしを感じ取りたい人もいると思います。

・・・認知バイアス。

その人の都合のいいものだけが、目に入って記憶に残る。

今回のインパクトがどの程度であったかどうかに関わらず、望みたい変化を信じる人が、変化のきざしを信じて、信じることを粛々と進めるしかない、のかなと、今後何かやる上での心の持ちようみたいなものを新たにしました。余談ですが。

 

 

(関連URL)

*企画の背景について。WLB_cafeのブログ

 土曜夜カフェにて、朝日新聞「ソーシャルA」とのコラボ企画を行います!